「一里石」を過ぎるとかつては「日が昇ると銭が湧く」といわれるほど殷賑した神谷の宿に入ります。清浄の高野山を直前にすべての欲望をこの地に落としたのでしょうか。しっとりとした町並みですが、廃屋もところどころに見られます。神谷を抜け突き当たり(直進する農道らしき道はあります。それが本来の旧街道ですが、林道工事や南海の軌道敷工事で寸断され廃道になったようです)を右に曲がると、南海高野線が下を走り木々に囲まれた明るい道になります。少し下り気味に歩いて新極楽橋の手前の脇道を左に入れば、すぐに鮮やかな朱色の極楽橋が目に飛び込みます。ここまで「一里石」から約30分です。
神谷宿
御成婚記念道程標。女人堂まで4400mとあります。大正三年に昭和天皇のご成婚を記念して建立されました。
神谷宿
高野山霊宝館「よもやま記 新高野街道をゆく 神谷地区」
下に南海高野線が走っています。
▼南海電鉄の前身南海鉄道と高野山電気鉄道の高野線に関わる歴史
大正14年7月
汐見橋(道頓堀)〜高野下間を全通
昭和3年6月
高野下〜紀伊神谷間開通
昭和4年2月
紀伊神谷〜極楽橋間開通
昭和5年6月
極楽橋〜高野山間鋼索線開通
線路が延びるごとに街道も街道筋の町並みも変化を遂げていったと思われます。
振り返ってみました。道の雰囲気がいいですね。
新極楽橋の手前の脇道を左に入ります。
極楽橋駅の車輛が見えます。
朱塗りの極楽橋は高野の聖域と俗界を区切る結界だといわれています。
橋の両端に地蔵が祭られている極楽橋を越えると高野の聖域に入り、不動坂と呼ばれる急な坂道が続きます。山頂の向かうケーブルのガード下をくぐり坂道を上ります。途中左手に滝などがあり深山幽谷の趣もある美しい登山道(散歩道)です。極楽橋駅からケーブルを使わずに歩かれる方も結構おられるようで、ところどころにベンチも用意されています。小橋を渡った左には清不動堂(きよめのふどうどう)があり、高野山参拝前にここで身体を清めたといわれています。不動坂の名もこれによるものでしょうか。お堂右手の川沿いには丸太のベンチも用意されています。
極楽橋を渡ります。
不動坂の始まりです。この道は大正4年に新しく付け替えられ、それ以前は「四十七曲り(いろは坂)」といわれる急峻な坂道でこの付け替えによって「ダンダラ坂」となったと当時は酷評?されています。
高野山霊宝館「よもやま記 不動坂」
ケーブルのガード下を越えます。
ケーブルカー
稚児の滝
高野山霊宝館「よもやま記 稚児の滝」
清不動堂が見えてきました。橋を越えて右手のベンチは小休止するのに落ち着きます。
高野山霊宝館「外不動堂(清不動)(そとのふどうどう)」
以前来た時は朽ちかけたようなお堂でしたが、奇麗に建て替えられていました。
清不動堂を過ぎ花折坂を経て高野山のバス通りに突き当たります。左に少し行くと不動坂口の女人堂に到着。「四里石」から休憩時間を含めて4時間30分、23888歩。不動坂の登り所要時間は40分ほどでした。登りはともかく下りだとバスを待ったりケーブルを待ったりしている時間を入れると大差ないかもしれません。
花折坂
右はバス専用道路で、左へ少し歩くと女人堂に到着です。
不動坂口女人堂。高野七口で唯一残る女人堂です。
高野山真言宗 総本山金剛峯寺「名所のご案内 女人堂」