「西高野街道」の道標。堺市内のあちこちで見受けられます。
右手に南堺病院を見て、阪和自動車道の高架下を越えます。少し右に行けば国道でお店もたくさんありますので、必要なものは調達できます。
道の正面に地蔵堂が現れ、左右に道が分かれます。「右 かうや 大ミね 左 たきたに 金剛山」の石標が建っています。西高野街道は右に行きます。
途中右手に小公園があります。トイレはありませんが水場はあります。お弁当を食べるならこの辺りしか適当な場所はなさそうです。
この辺りも街道らしい雰囲気が漂います。国道310号線が旧街道を逸れて作られたため、かつての街道筋の風情がこれから先も色濃く残っている町並みが随所に見られます。
突然密集していた家並みが途切れ、右手の視界が開け一面の畑が目の前に広がります。金剛・岩湧が遥か遠くに見えます。久しぶりの開放感です。かつてはこのように紀伊との国境である岩湧山や紀見峠が街道からずうっと見渡せ、高野山に向かう人たちの心の励みにもなったことでしょう。
小公園を出て歩く事25分、「十一里石」までやってきました。ここまで大小路橋から2時間半ほど、約14000歩です。
西高野街道は信仰の道として今なお地元の人々に守られています。
「十一里石」が左手に見えてきました。倉庫の軒先にポツンと置かれています。
「十一里石」
「十一里石」を過ぎるとすぐに岩室歩道橋を越えます。地図では歩道橋を渡って少し北に向かうようになっていますが降りてそのまま直進すればいいようです。すぐに天野街道との分岐の道標が見え、右へ行くと天野街道で女人高野金剛寺へは約2時間の道のりです。西高野街道は左へ行きます。
岩室歩道橋で国道310号線を越えます。
歩道橋から真っすぐに続く西高野街道が見通せます。
「右 あまの山二里 左 かうや山十里」の道標のある分岐。里石の位置と距離はかなり大雑把なようで道案内とおおよその目安と考えるのがいいようです。
◆天野街道はこちら
おわり坂の下り道は展望が開けてかつては大和葛城山・金剛山から岩湧山までがパノラマのように望めたものと思われますが、今は人工物に遮られ風情はあまり感じません。これから越える紀見峠を遥かに望み、高野山へと向かう人たちは何を感じたのでしょう。ここからは下り切ったところにある歩道橋を越え三津屋川にかかる橋を渡ります。左に寄り道すると、狭山市立図書館や公民館があり、トイレ休憩や前のベンチでしばし休むことができます
おわり坂は展望が開けて開放感たっぷりの下り坂です。
遥か右前方に紀見峠。まだまだ遠い道のりです。
水越峠を挟んで大和葛城山・金剛山が正面に見えます。
図書館と隣接してある大阪狭山市の公民館
歩道橋を越え三津屋川を渡り、すぐに川沿いの道から離れ左の細い道に入ります。三津屋地蔵を右に見て雰囲気のいい街道筋を歩いていくと、住宅地の左手一角に「十里石」がぽつんと置かれています。里石建立の発起人の出身地にしてはちょっと寂しい気もする周りの雰囲気です。「十一里石」から約1時間で歩数計はあとわずかで2万歩になります。
三津屋地蔵
旧街道の雰囲気漂う茱萸木集落の町並みです。
「十里石」が左手に見えてきました。
「十里石」十三基の里石建立を発起した小左衛門と五兵衛は河内国茱萸木村の在で素性は不明です。その地元にある里石ということになります。